信心宗(しんじんしゅう)

 信心とは仏様のみ教えを頂いて、これをそのまま自分の心に納受して、自然に仏様のお悟りの果報を頂こうとするものです。
 仏道修行は「信に始まり信に終わる」と言うことができます。つまり仏道に入るには、この信心が根本であり、最終的に仏様のお悟りの果報を得ようとするには「信」の働きがなければなりません。
 しかし、いくら有難いと心で信じてもそれだけでは、決して信心しているとはいえません。自分では御法を信じているつもりでも、仏様の御意に叶った、身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を兼ね備えた信心でなければ不完全なのです。
 信心の対象は仏様のみ教えですから、我がすべてを仏様のみ教えに任せ奉り、つらくても教えを守り、身で行うことがなければ、勝手信心、一人信心となってしまうのです。
 すべてを任せるということは、相手を全面的に信じている表れです。もしも、任せるには任せたが、なおも不安があるという場合は、本当に任せたのではなく、半分任せたに過ぎません。これでは信心になりません。信心では全部を任せるという事が大切なのです。
 つまり、すべての御指南を疑わない心、我が身をお任せする心こそ真実の信心なのです。
 そして、そのお任せする信心と御題目口唱からご利益を蒙り、一層信心が堅固となって、ご奉公にも熱が入るのです。さらに他人様にも、御法(上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目)を弘めさせて頂こうという教化折伏がさせて頂ける身となれるのです。
 このように信心ということが根本になって、あらゆる行に進み、現証ご利益を頂く事ができるのです。

 御教歌(№二六一六)
  まかせたら安心せねばかひもなし 人にはあらずまして仏に