もうダメかと思ったとき~お助行の翌日に就職成就~


                           遠妙寺所属 石田麻紀

 

多くの皆様にご心配と励ましをいただきましたが、おかげさまでこの度、無事に転職成就のお計らいを頂戴することができました。

私が、真剣に転職について考え始めたのは昨年九月頃でした。夏頃から時々開門参詣をさせていただくようになっていたのですが、当時働いていた会社はお寺と正反対の方向にあり、がんばって朝参詣しても七時半前にはお寺を出発しなければならず、御法門の聴聞がかないませんでした。せっかく四時に起きて朝参詣しても御法門聴聞ができないのが空しくて、『是非ともお寺の近くの、あるいはお寺に立ち寄って出勤できる職場に転職したい』と思いました。

ちょうどその頃、お計らいをいただき、大変だったプロジェクトも無事終了し、仕事の切れ目でもありましたので、年内いっぱいで退職し、転職成就させていただけるようご祈願を始めました。転職を決意するにあたり、『是非ともお計らいを頂戴し、ご利益で転職をさせていただきたい。そのためにさせていただけることは何でもさせていただこう!』という意気込みで転職活動を始めました。

そのために、まず第一歩として、これまでよりもお寺参詣を多くさせていただこうと思いました。しかし、当時の職場はお寺から離れており、また退職を決意してからは引継ぎ等の雑務も増え、思うようにお寺参詣の回数を増やすこともできず、気合いだけが空回りの日々となりました。『きっと、こんなんじゃ駄目だ』と思い、お講師や法区の先輩方に相談させていただきました。すると、まず始めに法区担当の彰信師より「今の住居は会社の近くですから、現在の会社・仕事中心の因縁です。お寺の近くに引っ越せば、ご信心中心となる因縁の職場が現れますよ」と教えていただきました。また、青年奉仕会担当の彰国師からは「まずは、お教化を心がけてください。今の職場で助けるべき人がいるのかもしれませんよ」とお折伏をいただきました。さらに、法区の先輩からは「お寺参詣がままならない状態での転職は良くないので、会社を辞めてお寺参詣に集中できる状態になったら百本口唱をさせていただいたら?」と奨められました。

そこで、ジタバタと就職活動をするのは退職までの忙しい間は一旦中断し、お教化を心掛けることと、お寺参詣しやすい住居を探すことに集中し、お教化成就第一でご祈願させていただきくようにしました。すると、退職直前の十二月末、思いがけない展開でお計らいをいただき、かつての上司である山野さんをお教化させていただくことができました。また、西武線沿線にとても気に入ったマンションが見つかり転居することもできました。そして、退職にあたっては、上司が涙ながらに今後の私の進むべき道を心配してくれたり、これまで仲たがいしていた同僚とも仲直りしてお互い感謝の気持ちを伝えることができたり、開いてもらった送別会も十四回にのぼり嬉しいことずくめでした。ご奉公中心の生活をという思いが、こんなにも気持ちよく暖かい雰囲気での退職となるのかと驚くとともに、感激の気持ちでいっぱいになりました。

退職の余韻がまだ残る年明け一月三日からは、本堂で百本祈願口唱をさせていただきました。百本口唱中は、一人だけでお看経をいただく時間がほとんど無いほど、本当に多くのお助行をいただきました。多くの皆様が、お忙しい中、後方から力強いお助行をしてくださいました。皆様の熱いお助行と温かい励ましの言葉に後押しされ、随喜の気持ちが溢れる中、一月八日には百本を達成することができました。さらには、御導師のお助行の下、無事に御礼口唱も成就させていただきました。しかし、百本口唱は成就したものの、直後に“これ”といった就職先が現れるわけでもなく、転職の目処が立たない日々が続きました。

正直申しまして、百本口唱で“するっと条件の良い就職先が現れ“スルスル”と転職が成就するような気持ちでいましたので、ちょっと拍子抜けするような、期待はずれのような気分になりました。今思うと、この頃から慢心の念が芽生えていたのだと思います。今回の転職のご祈願にあたっては、ご利益をいただきたい一心で、お寺の近くへの転居、初めてのお教化、百本口唱、開門参詣やお講参詣、さらには学徒研修生としての尊前ご奉公やWEBチームでのホームページ作成など、自分なりには精一杯のご信心・ご奉公をさせていただいているつもりでした。それでも、思うような転職先が見つからないことで、いつしか『こんなにさせていただいているのに、こんなにがんばっているのに、なんでだろう?本当にご利益をいただけるのかな?』と疑い、迷い、慢心の気持ちで一杯になっていました。そんな時、彰勲師より「何か困ったとき、行き詰まったときは青年会のお助行をいただいて、素直な気持ちでお折伏をいただいてください」とのお折伏をいただきました。さっそく、青年会幹事長さんに相談し、二月四日にお助行をいただけることになりました。

お助行の席では、疑い、迷い、慢心の心が起こっていること、ご奉公をさせていただく上で感謝や喜びの気持ちが薄れていて仕事感覚になってしまっていることなどをお懺悔しました。お懺悔をし、お折伏をいただくと、何だか心が軽くなったようなスッキリとした気持ちになり、もう一度素直な謙虚な気持ちで一からがんばってみようと思えるようになりました。また、仕事帰りでお疲れの中お助行にお参詣くださり真剣にお看経、お折伏いただく会員の皆様のまっすぐな姿に心を打たれ、是非ともご利益をいただいてご恩返しをしたい、と前向きな気持ちになりました。そして、そのお助行の翌日、ある会社の説明会に出席しました。

希望していた人材派遣の会社で、勤務地が大手町と、条件面は希望にマッチしていました。出席してみると、とても雰囲気が良く『ここで働きたいなあ』と思う職場でしたが、募集職種は営業担当の新規支店店長候補ということで、全国どこに転勤になるかわからないものでした。今は、家族揃って遠妙寺でご信心・ご奉公させていただきたいという気持ちがありましたので、良い会社だけど転勤があるのなら縁が無かったと諦めるつもりで、その会社を後にしました。すると、その十分後くらいに「今からもう一度話をしたいので、戻ってきていただけませんか?」と電話がありました。狐につままれたような気分でその会社に戻ってみると、社長さんが待っていてくださり、あらためてその場で面接が始まりました。

そして三十分ほどの面接の後、「あなたはこれまでシステムエンジニアの仕事をされていたのですから、支店勤務の営業ではなく、経歴を活かしてシステム系の企画の仕事をしませんか?うちは本社が姫路なので、旅費を出しますから、一度姫路本社を見に来てそこで入社するかどうか決めませんか?」との申し出でした。社長からの提案であるシステム系の企画の仕事というのは、本当は一番やりたいと思っていた希望の仕事だったのですが、募集が極端に少ないため諦めていたものでした。にもかかわらず、相手からの「企画の仕事で」という提案、さらには姫路本社の見学と、夢を見ているような気分でした。

さっそく翌週に姫路本社での面接を受けることになりました。当日は、朝から神戸・香風寺にお参詣し、皆様に励ましの言葉をいただきながら前向きな気持ちで姫路に向かいました。本社に着くと、とても温かい雰囲気が感じられ、条件面の折合いもすんなりと、その場で就職を決めることができました。帰り途には京都で下車、何と本山にて御礼言上もさせていただきました。このように、お助行をいただいた翌日であり、寒参詣の最終日でもある日にお計らいをいただいたとしか思えないような会社・仕事にめぐり合うことができ、また本山参詣という余慶のご利益までいただき、『ああ、本当に御宝前様は生きてらっしゃるんだ、私たちの信心前を見てくださっているんだ』と涙が出る思いでした。少しでも疑いや迷いの念を抱いた自分が恥ずかしく、申し訳ない気持ちで一杯になりました。

新しい職場に勤めて三週間が経ちます。仕事は忙しいのですが、会社の雰囲気はとてもよく、『同業他社はいくつもあるけど、この会社に就職して本当に良かった』と心から感じています。お計らいでいただいた職場はこんなにも“ステキ”なんだ、とありがたい気持ちで一杯です。姫路出張が度々あって、慌しい日々を過ごしていますが、就職が決まった日に良尚師からお折伏としていただいた何のために転職したのかを決して忘れず、ご信心、ご奉公中心の生活を送ってくださいね」という言葉をいつまでも忘れないようにしたいと思います。私にとっては決して簡単なことではありませんが、疑い迷いの念を捨て、ご利益をいただいたのは自分の力ではなく多くの方のお折伏、お助行の賜物であることを忘れず、慢心、懈怠をせず、喜びの気持ちで日々精一杯のご奉公をさせていただきたい、お教化でご恩返しのできる信者になりたいと思っています。四月十一日の開講百五十年別修法要に向け、新たな気持ちでご奉公させていただきます。