病気平癒のお計らい

 ありがとうございます。

421日、コロナ禍真っ直中に発熱し、ニューモシスチス肺炎で緊急入院致しましたが、御導師、御講師始め教区の皆様、BL会他ご信者の皆様の御祈願、お助行により早期回復、当病平癒の御利益をいただく事ができました。

発端は420日の発熱で、この時は薬を飲んだだけで解熱しました。しかし26日には、私が席主となり客殿で部御講を頂く予定をしていましたので、すぐに下石部長に連絡したところ、次月予定の森田さんに席主を代わって頂き、また部の皆さんの協力のもと、そのまま中止することなく御講席を奉修していただき感謝しております。

さて、421日に再び39度以上になり、悪寒と震えが止まらず持病のリウマチでかかっているクリニックへ連絡しましたが、新型コロナウイルス対策センターにとりあえず連絡してくださいとの事。震える手で電話番号をメモし、プッシュボタンをやっと押し、かけてみたものの一向に繋がらず、再度クリニックに連絡を取り、結局クリニックで診療をうける事になりました。家の近くにタクシー会社があるのに、自分の車で行くことしか考えられず、自ら運転しクリニックに向かいました。コロナの心配があったため、後にこの車の移動のことで姉夫婦、特に姉には迷惑をかけてしまいました。

クリニックに到着すると、ドクターやスタッフの方々が迎えてくれたのですが、コロナ用の防護服を着用していませんでしたので、それを見て「私は大丈夫、コロナではない」と、なぜか確信していました。

採血、レントゲン、CT検査、酸素濃度測定後、酸素吸入チューブを装着し「ちょっと待ってくださいね」とドクターの一言。その後、受診から1時間もしないうちに「S(筆者)さんこれから救急車が来るからね」「え!どこに行くんですか?」「清瀬の複十字だけど知ってる?」「名前は知っています」と答えました。すぐに姉に電話をし、会計をしている間に救急車が到着。ストレッチャーが来ましたが、救急隊の方が「歩けますね」と歩行にて救急車へ。複十字病院に到着してからも病棟まで5分くらい歩いた気がします。

このあたりから記憶があいまいになっています。

CTの結果、肺の中がガラスでおおわれている状態で、肺が動いていないとの事。ハイフロー療法という高濃度の酸素の機械を付けられます。ドクターからは「S(筆者)さん看護師さんだからわかりますよね。意識がある時は挿管できないですよね、その機械付けているのに鼻からはずれたり、強く酸素が入っているからうるさいし、顔に密着して邪魔ですよね。気管切開した方が楽だと思いますよ。」というような事を何度か言われましたが、その都度拒否しました。

結果は気管切開せずにすみましたが、その時言われたのは「一週間様子を見て回復しなければその時はしますよ」でした。その日からちょうど一週間の428日にはハイフロー療法から脱出し、普通の酸素療法に代わり52日には、それも中止することが出来ました。

話は前後しますが、入院後3日目には、コロナではなかったことから呼吸器内科病棟のナースステーション横の病室に転棟したのですが、今思うとこの頃から幻聴や幻覚が出るせん妄状態にあったように思います。

初めての病院、病棟のはずなのになぜか「ここの部屋に来て泊まったことある。でも前は向こう側のベッドだったし、何で泊まったか、どうやって帰ったかもわからない。でも今回はわかっているから大丈夫。私は良くなる、家に帰れる」と思いました。

ただその後、ぼーっとしているとカーテンのひだが、子供か人形の足のように太く伸びてきたり、天井の汚れが顔になったり、極めつけは消灯前に天井からコロコロと鈴が鳴るようなかわいい声で「南無妙法蓮華経だって・・・」と声がしたかと思うと、ベッドにいるのになぜか御導師様と彰孝師が歩いてくるのが見えました。その時は職員らしき人に先導されてこられたので、疑問に思わずいました。しかし翌日の朝、彰孝師と姉にメールをしたところ、姉からは「何を言っているのかわからない」と返事があり、彰孝師からはすぐに返事はありませんでした。(実は、姉に変なメールが来たと相談されていたようです。)

それで我に返り「あれは妄想だったんだ」と気が付きました。

その日以降も幻覚は続きましたが、「南無妙法蓮華経」とお唱えすると消えるようになり、数日後には全くなくなりました。その頃から酸素の濃度も下がってくるようになりました。

彰孝師は常に具合を尋ねるメールをくださり、お助行の時間を伝えてくださったので、ベッドサイドに腰掛けたり横になったりしながらも、御題目をお唱えすることが出来ました。ありがとうございます。

52日に酸素療法が中止になり大部屋へ移り、朝廊下を歩いていた時に、別のチームの看護師の方が私の顔を覗き込み、ここまでに回復したことに喜んで下さいました。

58日には退院を目的としてリハビリ病棟に移り、そこでも病棟医がたまたま入院時の当直のドクターで、回診の時に私の名前を見て、師長から告げられた退院予定日に驚きながらも喜んでくださいました。

そして、516日に無事退院することが出来ました。

退院後に彰孝師がお助行でわが家へ来てくださったとき、天井から聞こえたかわいい声の話をしたところ、水子の話が出ました。私にはおりませんが、母と姉に水子がいます。「その子たちの声かもしれませんね」と言われました。兄弟姉妹または甥姪であったかもしれない子供たちの声に私は助けられのかもしれません。

また、退院後姉に、「シビアなこと言われた?」と聞いたら「覚悟してください、良くなっても在宅酸素は必要になるかもしれません」と言われていたそうです。結果的に在宅酸素も必要ないほどの当病平癒、身体回復のご利益を頂くことが出来ました。これも御導師様、御講師様はじめたくさんのご信者の皆様の御祈願、お助行による功徳をいただくことが出来た事と感謝しております。

退院後、お寺にお参詣したときに、姉の体験談を聞かれたたくさんのご信者さんが声をかけて下さり、ご利益を頂けたことを喜んで下さりとても嬉しく思いました。

まだまだ半人前以下の私ではありますが、今後信心改良、増進に努めてまいります。

 

ありがとうございました。

(2020年8月寺報)