ケガと肺炎で気づかされたこと、役中後継者育成のお計らい

インタビュアー(以下、イ)

Kさんは現在80歳。長い間、本教教区の教区長兼部長の御奉公をされ、教区内の御信者さんへお講やご回向、ご有志のおすすめをされたり、また長引くコロナで外出できない御信者さん宅へ様子を伺いに訪問されるなど、地道な御奉公をされています。さらに、修学師として毎週火曜日に朝の尊前御奉公をされ、御信心の後輩である私たちに御奉公の背中を見せて励ましてくださっています。

 Kさん、ありがとうございます。先日の寒参詣で発表された体験談について、お話を伺いたいと思います、よろしくお願いします。

 

Kさん(以下、鎌)

   よろしくお願いします。

 

 Kさんは昨年11月下旬に肺炎で入院されましたが、その時のことを教えていただ

けますか。

 

K  11月9日に昔から交流のある本行教区のYさんの教区お講へお参詣しようと、近くの駐車場へ車を停め、車から降りたところでした。そこから意識を失ってしまって、痛みで目を開けたらもう地面に倒れていました。立った状態で意識を失ったので、手をつかず顔から倒れてしまったようで、額から流血していましたが、何とか教区お講へお参詣させていただこうと、Yさんのお宅へ向かいました。その時、「なんでお講にお参りしていてこんなことになるんだ」と思いました。

 その後、病院に行って検査を受けたら肺炎だとわかって、すぐに入院になりました。お罰をいただいたと思いました。

 

お罰をいただいたと感じる、なにか理由があったんですか?

 

K 私は、毎日朝3時に起きて御看経をあげてから朝参詣させていただいています。自分なりにですが、御宝前の御本意に叶おうと、精一杯務めているつもりでした。それでも、聴聞した御法門と自分の行動を照らし合わせると、とても一致していると思えない。自分はまだまだ御本意に叶っていないと感じていました。

 そこで普段から自宅での御看経で「『おまえ間違っているぞ』というときは教えてください」、と御祈願していました。それで、お罰をいただいたのだと感じました。しかしそれは、御宝前にお願いして教えていただいたのだから、お罰でありながらご利益だと感じました。本当にお罰をいただけたんだ、この御信心は本物だと、入院中にこの思いがふつふつと自分の中に湧いてきました。自分の中で納得がいきました。だからこの肺炎によって死ぬとかそういう事はまったく思いませんでした。何が起こってもご利益だと感じました。

 

その入院中、本教教区では、Kさんが思いもかけない展開になりましたね

 

K 入院して2日後に自分が席主の教区お講が控えていたのですが、入院となってしまってはお講奉修は難しいと考えて、担当の彰勲師にお講の延期をお願いしました。ですが、彰勲師がせがれとMさんと話をしてくれて、教区お講が奉修できるようにしてくださりました。

 さらに彰勲師はせがれとMさんと教区再編のための話し合いをしてくださって、二人とも納得して、教区再編で2部(研信会BL会青年会が中心の部)になってこれから御奉公されることになりました。

  教区再編は、本教教区にとって難しくて、無理なのではないかと思ったこともありました。せがれは仕事も忙しく、自宅の教区お講もなかなかお参詣させていただける状況になかったので、夢のまた夢だと思っていました。でも彰勲師がこの機会に話を進めてくださって、自分が入院していなかったら、とても実現しなかったと思います。

 

肺炎での入院はご利益だったんですね。それまで本教教区の御奉公を引っ張ってこられましたが、教区再編成をきっかけに息子さんに御奉公を引き継ぐことができてよかったですね。

 

K 親子だと却って話し合いが難しいこともあったりして、うまく伝えられないこともある。けど以前せがれに「この御信心だけは絶対に守らないとだめだ」と話したことがあって、それをせがれは受けてくれたと思っています。せがれは毎日昼も夜も、お客さんの都合に合わせての仕事なのでほとんど休みも取れていないように見えるから、親として体が心配。その中の御奉公だから難しいかもしれないけれど、一生懸命やってくれているようだから、あとは御宝前にお任せだと思っています。

 

肺炎での入院、そして教区再編成の成就という出来事を通じて、どのようにお考えですか?

 

K 私は事業をしています。自分でなんとかしようとするとうまくいかないのですが、いつも助けてくれる人たちが現れて、そしてここまでやってこられました。周りの方たちのおかげです。しかし事業を長く続けていると、難しいことが出てくるときもあります。

 この体験で、お題目が正しいと納得させていただけました。幸せも不幸せも、起きた出来事に対して自分で決めるのではなく、すべては仏様が決めてくださる。

 

 苦しい時は、考えると気が重くなってしまうし、かといって知恵が浮かんでくるわけでもないので、とにかくお題目にお任せしようと、お任せで生きていこうと思っています。