大いなる回り道の末に

 
                          遠妙寺所属 鎌本太郎

 

 入信の動機は私の実弟、昭義が癌にかかり、既に転移しているのでは、ということでした。弟のために自分で何ができるか考えました。神仏に祈る事しか出来ないと思い当時の遠妙寺のお講師にすすめられ入信をいたしました。
 その頃から弟は葛飾区立石におりました。車を買ってやり、毎日お寺に来るように話し私も百ケ日参詣を致しました。弟は見事に御利益を頂き今も元気です。弟の御利益についてもいろいろ書きたいことはありますが、このたびは自分自身のお計らいについて述べます。
 世の中のすべての事は妙法の内にあると御法門でお聞きしたことがありますが、これを自分は身をもって体験した思いでございます。

 入信して間もなく時代のせいでしょうか、好調であった紳士服の業界にもかげりが見えご多分にもれず私の商売もうまくいかなくなりました。当時紳士服の小売り店を四店舗持っておりましたが、不渡りを出し倒産致しました。入信時に教化親の御講師に店が潰れるようなことがあっても一生懸命お題目をお唱えするようにと教えて頂きました。
 倒産の時、普通なら即刻、店を整理した上、すべてのものを借金取りに押さえられ、その日のうちに路頭に迷わなくてはなりません。しかし私の場合はおだやかに債権者会議が開かれ店はそのまま営業でき、借金は少しづつ返済すれば良いということになり今思えば大変なご利益を頂いたのです。
 しかし当時は最初のうちはそう思わないでもなかったのですが、次第に口の上ではご利益といっていましたが心では納得できなくなってまいりました。いっそのこと倒産してしまっていた方が良かったのではないか、そうすればかえってこんな目にあわなかったのではないかと思うようになったのです。それくらい返済が苦しかったのです。その上、商売ばかり気になり、お寺のお役ご奉公も重荷になってきました。
 そのうち以前信者であったAさん、また、私と同じ法区(教区)に所属しているTさんという方に誘われ、遠妙寺を退転しました。
 私を退転へと誘った元信者Aさんは、それ以前からS寺を破門されたSという元、教務についていましたが、Sさんのした身の上話にTさんが同情して、いかなる悪因縁か、私も師事するようになりました。
 
 私は当時、破門された元教務Sさんは、大変信心の強く話も上手で人柄も良い方と見受けましたが、後から聞けばその話にはいろいろ嘘があったようです。
 魔のなすわざでしょうか、商売も売上げが二倍ほどに上がりました。しかし、それでも資金繰りは苦しく借金のことが頭を離れず死ぬ事ばかり頭から離れませんでした。前向きに生きる意欲が心から湧いてきません。バブルがはじけるとともに売上げが悪くなり借金も増え家賃も溜まるようになりました。
 その後本門佛立宗の乗泉寺にお参りしたり致しました。そうしているうちにTさんの娘さんがどういうわけか私の店にやってくるようになりました。
 高校を卒業してそれほど年も経っていない頃で、見れば何かようすが変です。部分的に話は通ずるのですが、どこか正気を失っているように見えます。店にいてなかなか帰ろうとしませんので食事をとらせたり店の手伝いなどもさせますが簡単なことにも手間がかかります。高校入学のときは(退転した頃)は少しもおかしくなく成績も悪くはなかったようで無事に卒業もしたのですが、しばらく見ない間にずいぶん変わってしまいました。
 そのTさんの娘さんが、私の店によった後、もう長い間お参りしていなかった遠妙寺に参詣を始めました。退転する以前にもお寺の近所に住んではいましたがそれほどお参りしなかったのに今度はせっせと通うのです。何だか気味の悪いような変な感じがしました。

 そんなことがあって自分は間違いを犯しているのではと思い、遠妙寺に謝りに行かなくてはと思いだしました。
 私は一月三十日、遠妙寺のお導師にお詫びに参りましたら、暫くお考えいただいた後、こころよくお許し頂きました。しかし今度はどんなことが起きても退転せず一生懸命お題目をお唱えすること、懺悔状を書くように折伏されお約束致しました。
 翌月、二月十三日、四国の母が八十九才で死亡致しました。親戚の教化ができるかと思い死んだ母の体が柔らかくなるように二時間ほどお題目を妻と二人で唱えましたが周りが皆謗法だらけではどうにもなりませんでした。
 四国から帰ってきて法区(教区)長さんを教化親として再入信させて頂きました。その後Tさんをどうしても教化させて頂きたいと思い、私と同様、懺悔しなければ娘さんも助からないし、一家の罪障は消滅できないと考え説得をこころみました。しかしガンとして聞きいれず、御導師から渡すようにいわれた手紙も受け取りませんでした。
 Tさんは元教務のSさんの自称、本門佛立講(勝手に名前を使用)から始まって次々と謗法の宗教遍歴を重ねておりましたが、最終的にまた佛立宗に戻り故郷のお寺に所属していました。しかし遠妙寺の御宝前での御懺悔が筋と思いますがそれができないので、娘さんはお寺にお参詣していましたがハッキリと現証をいただけませんでした。大変残念なことです。 
 四国からの土産を持って大家さんにご挨拶をして、今後もよろしくお願いしたのですが、それから一ヵ月もしない内に今度は店を明け渡し出て行くように、しかも八月までということになりました。この話しをお導師に致しますと、店に御本尊をおまつり頂きお助行も頂きました。すると一昨年八月までというのが十二月、さらに昨年三月とのび、とうとう本年三月になりたまった家賃十ヵ月分支払いができてしまい今までどおり貸してあげておいてよいということになりました。

 その間の二年間は一日朝昼晩と毎日お参詣をし、お寺の御宝前のお給仕、ご奉公、お看経を五、六時間、百本祈願も二度させて頂きました。
 そのうちに不思議に生きていく力が湧いてきて死のうと思う心が一つもなくなり、そればかりか店を店員にまかせながら新しい仕事をしようと思うようになりました。本当に有難いことです。教化も四人、その中の一人は御本尊奉安できました。
 そのうち、個人教化させていただいたO君は生まれながらの身体障害者です。発声できないので口もきけず字も書けません。右手右足が不自由で右手が曲がったままになっていました。ところが連れ参詣を重ねていますと、その右手が伸びゲンコを握ったままの手も開くようになりました。五十年来生まれて初めてのことです。会う度に握手をし手に力がつくのが楽しみです。お寺に参り一緒にお題目を唱えさせていただきましたが、自分では精一杯口唱しているつもりですけれど、O君はアーアーと声を出すだけではっきりとお唱えできません。それでも目の覚めるような御利益を頂きお題目様のお力に驚くばかりです。
 また自分のことに戻りますが、新しい仕事としてビル清掃の仕事をしようと思うようになり、アルバイトをするようになり週に一度の整備の仕事もするようになりました。ところが、アルバイト先で九月二十三日(彼岸会のとき)脚立から落ちて足の骨を折ってしまいました。その時でも店に泊まりお寺参詣は一日も欠かすことはありませんでした。
 その後知り合いの社長より下請けとして清掃の仕事を出してやるといわれました。S区の某特別出張所(新築)の物件です。同社の社員で定年になった人が自分にくれと言ったそうですが、社長は私にやらせるといって断り、考えられないほどの好条件で仕事を回してくれました。正しく変化の人です。正味一ヵ月の経験もない自分に仕事ができるかどうか不安もありましたが、ともかく妻ともう一人の女の人と三人で始めることになりました。店のほうも家主さんと誓約書を交わし今年中に家賃滞納分を支払い、その他の借金も今年中払う事で話が付きました。そして店も再教化した従業員のK君に任せて現場に出ています。店の御本尊もK君がお給仕、お守り致しております。

 このように仕事の目当がつき、現在では妻と早朝開門参詣をさせて頂き毎朝、現場に行っております。そして何よりもの御利益は家内のことで最初の入信以来、商売の方は発展というより衰退を重ねていたのでご信心に対して懐疑的であった妻がお看経に積極的になり他人にも信心をしているのでうまくいっているなどと話しをするようになり、また子供も御宝前に座るようになったことです。
 このように謗法の怖さとお題目の有難さ不可思議さを体験いたしました。妙法の御題目を唱えていればその間に起こることは全て罪障消滅でかえって後に御利益を頂くもとです。もし入信をしてすぐ商売も繁盛していればおそらく自分はいやな人間になって信心も一生懸命させて頂くようにはなっていなかったと思います。又、もし退転したままであったなら現在のように売り上げが半分になっても楽々、いきいきと生活ができるなど思いも寄らなかったことだと思います。
 あとはお教化をさせて頂くことがお計らいのもとだと思います。以前は自分の心さえ自分ではどうすることもできないのでした。今後もすべてを御宝前におまかせして生きていこうと思っております。お導師には学徒に任命して頂きましたが、実は私は以前から期する所があり、事情が許すようになれば得度させて頂きたいのです。御礼お講の折、御法門でお導師に心の出家として生きよと言われました。

 今振り返ってみますと一日としてお看経の少ない日はありませんでした。疑いかけたり迷いかけた時はありましたが、日蓮聖人、開導聖人が嘘を仰るわけがないと思い自分に言い聞かせてお題目を唱え続けました。一日にお寺に三度も四度もお参りするのは、恥ずかしいときもありました。しかし、そのうちにご宝前に座ると何とも言えない喜び、うれしさが心の底から湧いてきました。これが法悦ということかと思うときもありました。この十五年ほどの間いろいろな体験を致しました。誠に有難いお題目様です。