上行菩薩が法華経の御題目を弘めるために、私達と同じ人間としてご再誕(誕生)されたのが日蓮聖人です。
日蓮聖人は一二二二年(貞応元年)、千葉県小湊にご誕生になり、十六歳でご出家されました。
その後、鎌倉や比叡山で学ばれるうちに法華経の心に触れられ、乱れた世の中を正し、苦しみにあえぐ人々を救うには法華経しかないとの結論に達せられました。
そして一二五三年(建長五年)三十二歳の時、千葉の清澄山旭が森にて 立教開宗(教えをたてて宗を開く)され、御題目を声高らかに唱えられました
(今年は数えて七五〇年目にあたります)。
その日から真実の法華経の行者ゆえの迫害が始まり、終生、「大難四ヶ度小難数をしらず」 といわれるようにご法難につきまとわれますが、そのたびのにご加護をいただかれ、 ひるまず御題目を口唱されました。
特にその中でも大きな難は一二七一年(文永八年)の「龍口ご法難」と、それに続く「佐渡ご流罪」でした。
これは鎌倉幕府に宗教政策の是正を求める建白書「立正安国論」を提出されたからです。
鎌倉幕府だけではなく、当時乱立していた多くの仏教宗派に対して、 「ブッダ釈尊に帰ることが大事であり、仏教というからには仏説によるべきで、法華経こそ第一とは釈尊のお言葉である。 法華経御題目の信心こそが世を救い人を救うのである。」と精力的に訴えられました。
こうして命がけで他宗をお折伏する一方、多数の御弟子・檀那(信者) を養成されました。そして多くの人を御題目によってお救いされ、数々の現証をあらわされたのです。
日蓮聖人は四百編以上の著書(御書)を遺されていますが、 その中心の教えは佐渡ご流罪以後にお書きになられた御書で、その中でも
①「如説修行抄」・・・修行上の覚悟を示された御書
②「四信五品抄」・・・行者の位と信心口唱の大事を諭された御書
③「観心本尊抄」・・・御本尊を明かされた御書
という「三部の如説抄」が大事です。
当宗はそれらの御書に忠実に 「本門八品所顕、上行所伝、本因下種の南無妙法蓮華経」 と御題目をお唱えします。
日蓮聖人は一二八二年(弘安五年)十月十三日、大田区池上で 安祥としてご入滅されました。
御弟子の中で師孝第一と讃えられる日朗菩薩の流れこそ嫡流で、その系統をひいているのが門祖日隆聖人です。
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