来し方~交通事故でいただいたご利益
 
                          遠妙寺所属 東尾恵美


 七五〇年御正当の年に、自分のご信心を見つめ直す意味で、今日は今迄の体験をお話させていただきたいと思います。
 七才の時、母に手を引かれ、熱海妙立寺の門を初めて潜りました。その時は、日晨上人のお母さまがいらっしゃり、私が母に促されご挨拶をさせていただきますと、「よくお参りにきましたね」と頭を撫でて下さり、真っ白い紙に包んだお菓子を、そっと私の手に乗せて下さいました。綺麗でお優しい方、いつか私もこの方の様になりたいと、子供心に何故か印象的であったと憶えています。今年はその方、本喜院さまの五十回忌。もう一度お会いしたいという思いに駆られます。
 そんな出会いがあって、とてもお寺が好きになり、せがんでは母のご奉公の真似事をさせていただきました。
 その後、くんげ会、青年会と自然にご奉公させていただくようになり、そして結婚。嫁ぎ先は、神棚四ヶ所に、日蓮宗の仏壇。私はまず御宝前に結婚の報告をさせて頂かなければと思い、「母のお墓がある熱海の妙立寺に来て欲しい」とお願いをしました。
 当時ご奉公下さっていた山村泉光師に言上のお願いをさせていただいた時、奥様が心よく三、三、九度の盃の用意もして下さり、結婚式として下さったのです。このお蔭で私は謗法の式を免れたのです。でも、タンスの最上段の開き戸に懐中御本尊をおまつりし、そっとお看経をあげる不安なご信心を強いられました。
 しばらくして近くに遠妙寺があるとの知らせに早速お尋ねし、大きく、私をすっぽり包んで下さる様なお優しいお顔の御祖師様にお逢いするすることが出来、随喜の涙でお看経をさせていただくことが出来ました。そして毎日夕看経に伺わせていただいたのですが、所属でないお寺、戸惑っておりましたある日、御導師が「何かご祈願がおありなら言上いたしましょうか?」とお声をかけて下さったのです。有難かった。胸がいっぱいになり、「ありがとうございます」とだけしか申し上げられませんでした。それから大奥さまが私のことをお訊ね下さり、私は堰を切った様に妙立寺の所属で、結婚して大塚に住んでいること、主人にご信心のことを話せずにいること等お話させていただきました。大奥さまは終始やさしい眼差しでお聞き下さり、「正法帰入のご祈願をさせていただきましょうね」と言って下さったのです。今までの不安、心細さは一掃されました。
 その後、遠妙寺でお看経を精一杯させて頂けるようになり、その有難さにより私は御題目口唱が好きになりました。 
 そんなある日、実家熱海の御宝前でお看経を上げている時、主人の交通事故の知らせを受け、急ぎ新幹線に飛び乗りました。東京に着く間、必死の御題目、無我夢中でした。
 
救急病院にやっと着き、訊ねると、この病院では処置出来ないので大学病院に移ったとの事。益々不安が募る中、次の病院への移動中も御題目を唱え続けました。
 主人に会えた時は夜になっていました。足は天井から吊られ、点滴やその他色々の管がつながれ、痛々しい姿でした。声をかけますと目を開け、来てくれたのかと言わんばかりに私を見つめるだけでした。後で先生よりお聞きしたのですが、前の病院で足を切断される所だったとか。私が病院に行くのが遅く、手術の了解が得られず待っている間に、頭部損傷が見つかり、その病院では検査不可能なため移送されたそうです。移された病院は、救命センターでも屈指の所で、先生は勿論のこと、看護婦さんの優秀さは評判でした。問題であった頭部は異常なく、そのままであった足の治療の時、外科では秀れたドクターがたまたま居合わせ、その方が執刀して下さることとなり、その方の判断で切断は免れ、手術は成功したのです。「骨がつながったことは奇跡としか思えない。これは芸術品である」と、ドクターも大喜びでした。

その後、回復も早く冗談も出て来る病室で、看護婦さん曰く、「この病室には、大学教授が特別診に来るが、どういうご関係ですか?」と訊ねられ、本人は「まったく判らない」と返事したそうです。その糸を手繰ると、なんと、私達のお仲人さんのご子息がその大学の教授だったことが判り、この偶然に私は御宝前からのお計らいをすぐ思いましたが、信心のない主人はただ驚いていました。そのとき私は初めてご信心のこと、お寺でずっとご祈願させていただいていたことを話しました。主人は「そうだったの」と一言申しただけでした。
 そして退院。松葉杖をつき、近くの公園にリハビリ散歩が日課でした。いつの間にか、松葉杖も取れた時、「僕もお寺にお参りしてもいいかな」と突然言い出したのです。散歩の途中お寺に寄り、毎日玄関の前でご挨拶させていただいたそうです。何か感ずることがあったのだと思います。
 遠妙寺では所属でない主人をとても暖かく声をかけて下さり、後押しをして下さいました。そのお蔭で、家の謗法払いをすることが出来ました。そして奉安させていただくこととなった時、不注意から又、骨折し再入院となってしまったのです。私は怪我の様子より、このことによって主人がご信心をどの様に受け止めるか、その方で頭がいっぱいでした。
 遠妙寺では早速お助行下さり、お蔭さまで手術は二時間程で済み、先生は「もう大丈夫。でも僕の作品は大切にして下さい」と笑顔で病室を出て行かれました。主人は私を見るなり、「おためしなんだよね」と言うのです。耳を疑いました。「えっ?」と聞き返すと「Hさんが、入信すると何か起きるかもしれないけれど、決して驚いてはいけませんよ」と話しておいて下さったそうです。事故の時すぐにその言葉が脳裏をかすめ、平常心でいられたそうです。前回の入院とは別人のような陽気な患者に看護婦さんが「同じ人とは思えない」と、話したそうです。お助行のお蔭です。お助行は心身共に平癒させていただくことを知りました。家族にとりましても、お助行がどんなに心強く、勇気づけられることでしょう。あの時、私共を知らない方々が口唱をして下さいましたこと、本当に感謝させていただきました。
 今でもお助行させていただく時、この時のことを思い出します。主人は交通事故に遭うことで、御宝前からのお導きを頂き、正法帰入させていただけたと、私はここでも大きなご利益を頂戴させていただきました。

主人は今、朝参詣に励んでおります。その後、私は熱海妙立寺まで夕看経のご奉公を頂き、東京からの毎週のご奉公は二年になります。その間一度も休むことなく無事に続けさせていただいておりますことは、御宝前からのご加護の賜物であると、随喜させていただいております。毎週土曜日、楽しみでございます。
 このたび顧みることで、『思いわずらうことなかれ』と、『み教えに従う』大切さを気付かせていただき、改めて『生かされている』ことを実感させていただいたように思います。
  こうして数多くのご利益を頂戴させていただけました御宝前へのお返しをご弘通ご奉公に生かし、今後は精進してまいりたいと思います。報恩教化のご利益を頂けますよう励んでまいります。
 ご信心という財産を私に持たせてくれた亡き母に、「有難う」と報告出来ますことも嬉しく思っております