過去宗(かこしゅう)

 過去宗というのは、み仏の過去(久遠)の事を明らかにした宗旨ということです。
 仏といっても様々な仏がお経には説かれています。しかし、歴史上確かに存在されたのはインドに三千年前に現れた釈迦如来のみで、あとの仏様の名前は皆釈尊の説かれた経典に登場するに過ぎません。当宗の信仰の対象である仏様は、歴史上に確かに存在された釈迦如来が自らご自身の本体であると宣言された、久遠実成、釈迦如来です。方便(手段)として仮に説かれた仏とは比べるべくもありません。
 法華経如来寿量品には、
「故あって今までは、その事実を明かさなかったが、実は私は久遠の昔(永遠の過去)に菩薩として、修行を積み重ね、悟りを永遠の昔に開いたのだ。」と、ご自身が永遠の生命を持ち、未来永劫、人々を救済される仏であると、本体を明らかにされたのです。
 こういう重大な事実はそのご生涯の最後に説かれた法華経、その中でも※本門八品において始めて明らかにされたのであり、他の経典では、架空の仏か、または釈尊はこの生涯を終えられた後は二度と救いをもたらさない、命に限りある仏とされているのです。ですから、この本門八品の教えが説かれてはじめて、現代の私たちへの救いが保証されることになるのです。
 また仏となる事は難しい事には違いないが、何びとも努力次第で、人のために献身的に尽くし、成仏の原因である仏種(南無妙法蓮華経の御題目)を人々の心に植えつける修行(本因妙行(ほんにんみょうぎょう))を実践すれば可能であると、仏への道を、真の幸せへの道を開かれたのです。
 このように、み仏が成仏された原点、大もとの過去を明らかにしているのが当宗のご信心です。
※法華経は全体で二十八章(品)あり、その中でも第十六章「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」から第二十二章「嘱累品(ぞくるいほん)」までの八章を本門八品といいます。この中に仏法の中の最高真実、究極の教えがこめられています。

御教歌(№二五三四)
法花経も迹門にては過去しれず 華厳真言いふに及ばず