無智宗(むちしゅう)

 仏様の尊いお悟りの智慧を頂くには凡夫の智慧を無くす、凡智(ぼんち)がはたらいている限りは仏智(ぶっち)を受け入れることは出来ない、というのが無智宗ということです。
 即ち、凡智を仏智と入れ替えるのには、智慧があってもよいがそれをはたらかすなというわけです。
 仏様の智慧と入れ替えるためには「聞法信受(もんぽうしんじゅ)」といって御法門を聴聞して心に留め、それを心の定規(じょうぎ)とすることです。
 また「空心(くうしん)」といって、自分考えを中止して仏様のみ教えを素直に受け入れ、そのみ教えにそうように努めることです。
 さて、無智宗という名の起こりは法華経の中で、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)が修行をなさったとき、み教えに対する無智の態度に終始されたことによります。
 つまり、そのご信心のあり方は、御法門(説法)で教えられた通り実行し、素直に御題目を唱えること。そしてお計らい(ご利益)を頂いたことを他の人に伝えて「一緒にご信心をしましょう、有り難いご信心ですよ。」と、お勧めさせて頂くのが無智宗のご信心の仕方なのです。
 また、ご信者方を育成していく場合でも、まず自分が行動を以てお手本を示し、「貴方も御題目をお唱えなさい。必ずご利益をいただけます。」と合掌礼拝(がっしょうらいはい)の気持ちでご奉公につとめることです。教化折伏には我身をかえりみず手間暇(てまひま)惜しまず骨を折って尽くすご奉公をさせていただくことが大切です。

 御指南
  「信心は無智が第一の事、其の信心は事行口唱也」扇十三ー一二七

 御教歌(№二八九三)
  無智なるぞよしといふ也 みほとけの 教へのまゝを仰ぐ物故