事相宗(じそうしゅう)

 人は色々な機能(はたらき)を持っていますが、これを大きく分けますと三つになります。それは身体と口と心です。人の善悪の仕業(しわざ)はこの三つから出て来ます。そこで人が立派なものになろうと思ったならば、これら三つを磨くほかありません。
 仏道修行とは人がその人柄を磨き上げて仏様のような方に成ろうという修行をする事ですから、当然三つの面の修行が必要になってまいります。これを身(しん)・口(く)・意(い)三業(さんごう)といいます。
 仏法では、こんにち末法という時代の人々の修行は意の修行が一番不得手で、まず身・口の修行、身・口の修行でも口の修行が一番易しいと定められています。口で言う、身体でする、これは姿・形にあらわれ、誰にでもわかる修行なのでこれを事相(じそう)の修行、有相行(うそうぎょう)といいます。
 そこで末法という時代にふさわしい当宗の信心修行は事相行である、というので事相宗と仰せられたのです。事相の事とは事実、相とは姿・形ということで、実際に誰が見てもわかり、誰が聞いてもわかるという事です。
 仏道修行とは心から入るのではなく、まず口に御題目をお唱えして姿・形にあらわしていきますと、自然と心の中に御題目を受け入れるようになるのです。また、事相行とは口で御題目を唱える口唱行とともに他の方に上行所伝の御題目のご信心をすすめる教化折伏の修行もまた事相行です。
 こうした事相の信心修行をしますと、こんどは事実・実際にこの効果があらわれてきます。これを当宗では現証ご利益といいます。この現証ご利益も姿・形にあらわれた事相のご利益なのです。

 御教歌
  末法は無智なる故に心にて 出来ぬを所作でするが信心